はじめに:あの「ザラザラした茶色い紙」を覚えていますか?
平成初期あるある~プリントの「わら半紙」
テストや配られるプリントが、まだ真っ白な紙ではなく、少し茶色くてザラザラした「わら半紙(更紙)」だった。(昭和でもそうだった)
昭和から平成初期にかけて学校に通っていた世代には、共通する記憶があります。先生が授業の最初に配るプリント、テスト用紙、学級通信——それらがまだ真っ白な紙ではなく、少し茶色みがかっていて、表面がザラザラとした独特の質感の紙だったことです。
この紙は「わら半紙」あるいは「更紙(ざらがみ)」と呼ばれていました。鉛筆で書くとザリザリという感触があり、あまり細かい字を書くと紙の繊維に引っかかるような独特の書き心地。インクの乗りも現代の白い上質紙とは全く異なり、謄写版(ガリ版)印刷との組み合わせで使われることも多い紙でした。
本記事では、わら半紙とはどのような紙だったのか、なぜ学校で広く使われていたのか、そしてどのような経緯で現代の白い紙に移り変わっていったのかを、事実に基づいて振り返ります。
第1章:「わら半紙」とはどんな紙だったのか
わら半紙(藁半紙)とは、稲わらやその他の植物繊維を原料の一部に用いた、安価な洋紙の一種です。ただし、時代が下るにつれて原料の構成は変化しており、実際には稲わらの比率が低いものや、木材パルプを主原料とするものも「わら半紙」と呼ばれるようになっていきました。
正式な規格としては「更紙(こうし)」と呼ばれ、米坪(1平方メートルあたりの重さ)が小さく、薄くて軽い紙に分類されます。表面はあまり平滑に処理されておらず、繊維の粗さが見た目にも触感にも現れています。色は純白ではなく、クリーム色から薄茶色がかったオフホワイトで、これが「なんとなく古くさい」「黄ばんでいる」という印象を与えていた正体です。
この色と質感は原料の性質と、白くするための漂白処理が上質紙ほど施されていないことによるものです。製造コストを抑えるために漂白や表面処理の工程を簡略化しているため、必然的に色が残り、表面が粗くなります。
第2章:なぜ学校のプリントにわら半紙が使われていたのか
わら半紙が学校で広く使われていた最大の理由は、コストの安さです。
上質紙と比べてわら半紙は製造工程が簡略で、原料コストも低く抑えられるため、大量に使用する学校現場にとって経済的な選択肢でした。クラス全員分のプリントやテスト用紙を毎日のように印刷・配布する学校では、紙のコストは無視できない要素です。昭和から平成初期にかけての公立学校では、限られた予算の中でいかに多くの教材を用意するかが重要な課題であり、わら半紙はその答えのひとつでした。
また、わら半紙はガリ版印刷(謄写版印刷)との相性が良い紙でもありました。ガリ版印刷とは、鉄筆で蝋を引いた原紙に文字や図を刻み、その上からローラーでインクを押し通して印刷する方式です。表面が粗く吸収性のあるわら半紙は、このガリ版のインクを受け取るのに適した特性を持っていました。昭和の学校では教師がガリ版でプリントを手作りするのが一般的であり、わら半紙と謄写版印刷はセットで機能していたのです。
第3章:ガリ版印刷からPPC印刷へ——紙が変わった背景
学校のプリントが白い紙に変わっていった背景には、印刷技術の転換があります。
ガリ版印刷が主流だった時代から、複写機(コピー機)やPPC(普通紙複写機)が普及するにつれ、学校の印刷環境は大きく変化しました。PPC複写機は普通紙(上質紙)を使用することを前提とした機械であり、表面が粗く厚みや密度が一定でないわら半紙は、機械の中で詰まりやすく、安定した印刷品質が得にくいという問題がありました。
複写機の普及とともに、学校でも「機械に合う紙」として白い普通紙の使用が増えていきました。平成に入り複写機が学校に浸透していく過程で、わら半紙は徐々に姿を消し、白いA4・B4用紙が標準的なプリント用紙となっていきます。
コスト面でも、製紙技術の向上と上質紙の量産化により、白い紙の価格が下がってきたことも移行を後押ししました。わら半紙の「安さ」という最大のメリットが相対的に小さくなっていったのです。
第4章:わら半紙の「あの書き心地」は唯一無二だった
わら半紙に鉛筆で字を書いたときの感触は、現代の白い紙とはまったく異なるものでした。
表面の繊維が粗いため、鉛筆の芯がほどよく引っかかり、ザリザリとした抵抗感があります。この感触が書き心地として好ましかった、という方は多いのではないでしょうか。現代の滑らかな上質紙では鉛筆がスルスルと滑るように動くのに対し、わら半紙では紙が芯をしっかり受け止めてくれるような感覚があります。
一方で、シャープペンシルで細い字を書こうとすると繊維に引っかかって書きにくいという面もありました。特に細い線を引くときや、小さな字を丁寧に書こうとするときには、紙の粗さが妨げになることもありました。
消しゴムで消す際も、紙の表面が粗いため消しカスが繊維に絡まりやすく、きれいに消えない場合もあります。また、消しゴムをかけすぎると紙が毛羽立ってしまうこともありました。こうした使い心地の不便さも含めて、当時の子どもたちにとっては「当たり前の紙」でしたが、現代の視点から振り返ると、かなり独特の紙だったことがわかります。
第5章:昭和・平成初期の「テストの雰囲気」とわら半紙
テスト用紙がわら半紙だった時代の教室には、現代とは少し違う雰囲気がありました。
配られたテスト用紙のあの独特の匂い——ガリ版印刷の油性インクと、わら半紙素材が混ざり合った独特の香り——を覚えている方も多いのではないでしょうか。印刷直後のプリントは特にインクの匂いが強く、それがテストの始まりを告げる合図のようでもありました。
また、わら半紙は薄く軽いため、重ねて配るときにめくりやすく、静電気でくっつくことも少ない反面、風で飛びやすいという弱点もありました。開け放たれた教室の窓から風が吹き込み、配ったばかりのプリントが一斉に舞い上がった、という光景を経験した方もいるかもしれません。
さらに、わら半紙は保存性があまり高くありません。時間が経つと黄ばみが増し、脆くなってきます。当時もらったプリントを何十年も後に実家で発見すると、すっかり茶色くボロボロになっていた——という経験をされた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
第6章:わら半紙が消えた後に残ったもの
学校からわら半紙が姿を消したのは、地域や学校によって時期は異なりますが、おおむね平成の中頃にかけて白い普通紙への移行が進んだとされています。
現在、わら半紙はほぼ学校現場では使われなくなりました。一方で、素朴な風合いを活かしたクラフト紙や再生紙などは、エコロジーへの関心の高まりとともに別の形で注目されることもあります。わら半紙そのものではありませんが、「あえて白くない紙を使う」という選択は、デザインや印刷の世界では今も一定の支持があります。
わら半紙を知らない世代にとっては「昔の学校で使われていた古い紙」という認識にとどまりますが、実際に触れて使っていた世代にとっては、あのザラザラとした感触や独特の色味は、教室の記憶と深く結びついた感覚的な記憶のひとつです。プリントを配られるとき、テストが返ってくるとき、夏休みの宿題帳——さまざまな場面でわら半紙はそこにありました。
まとめ:ザラザラした茶色い紙が教えてくれた教室の手触り
昭和から平成初期の学校で当たり前のように使われていたわら半紙は、コストと印刷技術の両面から選ばれた、時代の必然的な産物でした。
あのザラザラとした表面、クリーム色がかった色味、鉛筆で書いたときの独特の抵抗感——これらすべてが当時の教室の「当たり前」であり、今となっては懐かしい質感として記憶に刻まれています。
白くてツルツルした現代の紙は使いやすく、印刷もきれいに仕上がります。しかしそれと引き換えに、わら半紙が持っていたあの素朴な温かみのある手触りは、もう日常の学校生活の中には存在しません。テスト用紙のあの茶色い紙を見るたびに感じた、緊張と日常が混ざり合った教室の空気——それは昭和・平成初期に学校へ通った人だけが知る、小さくて大切な記憶のひとつです。
本記事は、わら半紙(更紙)の素材・特性および学校における印刷技術の変遷に関する一般的な事実に基づいて執筆しています。地域や学校によって使用状況・移行時期は異なります。
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