はじめに:あの「プスプス」をやっていませんでしたか?
平成あるある~コンパスの針
コンパスの針のほうで消しゴムにプスプスと穴を開け、最終的に消しゴムがボロボロのクレーター状になる。
算数や数学の授業でコンパスを使ったあと、なんとなく手持ち無沙汰になると、ふと針のほうに目がいく。そして気づけば、手元の消しゴムにコンパスの針をプスプスと刺し始めている——。
最初は一か所、次にその隣、またその隣。気がつくと消しゴムの表面は無数の小さな穴だらけになり、全体がぼこぼことしたクレーターのような状態に。「もったいない」とわかっていながら、なぜか手が止まらなかったあの感覚は、平成を小学校・中学校で過ごした世代なら身に覚えがあるのではないでしょうか。
本記事では、コンパスの針で消しゴムに穴を開けるという「授業中のあるある行動」を入口に、平成の教室文化や子どもたちの心理、そしてコンパスという道具そのものの特性について、事実に基づいて振り返ります。
第1章:コンパスの針はなぜあんなに刺さりやすかったのか
学校で使われるコンパスの針は、製図や円を描く精度を確保するために、非常に鋭く細く作られています。紙に刺して固定するための針ですから、先端は尖っていて当然ですが、その鋭さゆえに消しゴムのやわらかい素材にもすんなりと刺さってしまいます。
一般的な学習用コンパスの針は金属製で、先端が細く研がれています。消しゴムは合成ゴムや塩化ビニル樹脂などを主な素材としており、適度な弾力と柔らかさを持っています。この「鋭い金属の針」と「柔らかい消しゴム素材」の組み合わせが、プスプスと穴を開けるのに絶妙な抵抗感を生み出していました。
刺すたびに感じる、ほんの少しの抵抗と、スッと通る瞬間の感触。これが繰り返すことへの衝動を生み出していたと言っても過言ではないでしょう。大人になった今振り返っても、あの触覚的な快感は独特のものがありました。
第2章:なぜ授業中に消しゴムへ針を刺し続けてしまうのか
授業中という状況も、この行動を生み出す大きな要因のひとつです。
授業を聞きながらも、頭の一部が退屈していたり、集中が切れてきたりすると、手が無意識に何かを求め始めます。心理学的には「手遊び」と呼ばれるこのような行動は、人が一定の刺激を求めるときに自然と起こるものです。ペンをくるくる回したり、消しゴムのカバーを繰り返し外してはめたりするのも同じ文脈の行動といえます。
コンパスの針を消しゴムに刺す行為は、この「手遊び」として非常に完成度が高いものでした。刺す・抜く・刺す・抜くというリズムが単純で繰り返しやすく、大きな音が出ないため授業の妨げになりにくい。しかも「ちょっとやってみよう」という入口の敷居が低い。これらの条件がそろっていたからこそ、これほど多くの子どもが同じ行動をとっていたのでしょう。
第3章:消しゴムがクレーター状になるまでの「工程」
コンパスの針で消しゴムに穴を開けるという行為には、意外なほどのバリエーションがありました。
最初は表面の一か所にプスッと一穴。次第に穴と穴の間隔を詰めていき、隙間なく埋めようとする。あるいは規則正しく格子状に並べてみたり、端から順番に並べていったり。穴の深さを変えて、浅めのものと深めのものを交互に作ってみる。さらに進むと、一度開けた穴をさらに広げたり、穴と穴をつなげて溝を作ったりと、破壊的な創造活動ともいうべき展開を遂げていきます。
最終的には消しゴムの表面全体が凸凹になり、本来の目的である「文字を消す」という機能を果たせないほどになってしまう。それでも満足感があったのは、自分の手で何かが変化していくプロセスそのものが、ある種の達成感を与えていたからかもしれません。
新品の真っ白な消しゴムが、クレーターだらけのぼこぼこした物体へと変貌していく様は、今思えば一種の「彫刻」にも近い行為でした。
第4章:消しゴムをめぐる平成の教室文化
平成の教室では、消しゴムはさまざまな「遊び」の対象でもありました。コンパスの針で穴を開けるだけでなく、定規で真っ二つに切断したり、彫刻刀で模様を掘ったり、角を削って丸くしたりと、多くの子どもが消しゴムに手を加えていました。
また、消しゴムはコレクションの対象でもありました。キャラクターもののかわいい消しゴムや、珍しい形をした消しゴム、いい匂いのする消しゴム。友達と見せ合ったり、交換したりする文化もありました。それだけ消しゴムという文房具が、子どもたちにとって身近で手に取りやすい存在だったのです。
「もったいないことをしている」という感覚は子ども自身にもありました。しかし、それでも手が動いてしまう——。この矛盾した感覚もまた、あの行動の記憶を鮮明にしている要因のひとつかもしれません。
第5章:先生や親にはどう見られていたのか
コンパスの針で消しゴムに穴を開けている現場を先生に見られると、たいてい注意を受けました。「コンパスで遊ばない」「消しゴムがもったいない」という叱り文句は、平成の教室でよく飛び交ったセリフのひとつでしょう。
しかし先生側からすれば、授業に集中していない証拠でもあり、さらにコンパスの針という鋭利な道具が手元にある状況は安全面での懸念もありました。先端が非常に鋭いコンパスの針は、取り扱いを誤ると自分や周囲の人をけがさせる可能性がある道具です。消しゴムに向かっているうちはまだしも、ふとした拍子に手や指に刺さってしまうリスクも実際にありました。
親に対しては、消しゴムがボロボロになっていることで発覚するパターンが多かったようです。「なんでこんなに消しゴムがボロボロなの?」という問いに、正直に答えるか否か——これもひとつの「あるある」です。新しい消しゴムを買ってもらうために仕方なく白状した記憶がある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
第6章:コンパスという道具が持つ独特の存在感
コンパスは算数・数学の授業で円を描くために使う製図用具ですが、学校の文房具の中でも「ちょっと特別な存在」でした。
鉛筆や消しゴム、定規などとは異なり、コンパスには「針」という危険な要素が含まれています。使う際には慎重さが求められ、持ち運びの際には針をしまうよう指導されます。それだけに、手元にコンパスがある状況には、他の文房具にはない緊張感と、裏返しの好奇心が生まれやすかったのかもしれません。
また、コンパスは「使い方によって様々な大きさの円が描ける」という自由度の高さも持っています。幅を広げれば大きな円、狭めれば小さな円。この可変性が、子どもの探求心を刺激する側面もあります。消しゴムへの針刺しも、ある意味では「この道具でほかに何ができるか」を試す行為のひとつだったとも言えます。
学校の授業で使う機会が限られているからこそ、コンパスを手にしたときの「特別感」が、普段とは違う行動を引き出していたのでしょう。
まとめ:「プスプス」の記憶は教室という空間の証
コンパスの針で消しゴムにプスプスと穴を開け、気づけばクレーターのようなボロボロ状態にしてしまっていた——この行動は、目的もなく、実用性もなく、むしろ消しゴムを無駄にするだけのものでした。
それでも、あの触覚的な快感と繰り返すことへの衝動は、平成の教室で過ごした子どもたちに共通する記憶として残っています。退屈な授業の時間に手が勝手に動き出し、気づけばコンパスを握っていた。そんなさりげない瞬間のひとつひとつが、教室という空間の「日常」を形作っていたのです。
クレーター状になった消しゴムは、平成の子どもたちが教室でたしかに生きていた証でもあります。今では使い捨て感覚の安価な消しゴムも多くなりましたが、あのぼこぼこになった消しゴムを見ながら感じた、ちょっとした罪悪感と満足感の混じった気持ちは、いつまでも色あせない記憶のひとつです。
本記事は、コンパスの構造および文房具の素材に関する一般的な事実に基づいて執筆しています。
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