プリクラを16分割でハサミで切って友達と分け合った!平成の「プリ帳」とシール交換あるある

スポンサーリンク
スポンサーリンク
平成あるある
スポンサーリンク

平成のヒット作・名作アニメを今すぐ一気見 ▼

映画、TV番組、ライブTV、スポーツを観る【Amazon Prime Video】

はじめに:ハサミを慎重に入れながら、丁寧に切り分けたあのシール

平成あるある~プリクラの分割数を「16分割」などの細かいものにして、ハサミで切って友達と分ける。

平成の中頃から後半にかけて、女子中高生の放課後といえば「プリクラ」でした。ゲームセンターやショッピングモールの一角に設置されたプリントシール機の前に集まり、撮り終えた後には全員でシートを囲む「分割の儀式」が始まります。

「これ、16分割にしたから、一人4枚ずつね」「ここで切ると顔が欠けるから、ちょっとずらして」「端っこの余白部分はどうする?」——ハサミを慎重に動かしながら、お気に入りのカットを傷つけないように切り分けていく。そして各自がもらったシールを「プリ帳」に貼ったり、手帳に挟んだり、携帯電話の裏に貼ったり——。

あのシール分割の体験は、プリクラというメディアが生み出した、平成女子ならではの大切な記憶のひとつです。本記事では、プリクラとはどのように誕生し、分割シールの文化がどのように根づいたのかを、事実に基づいて振り返ります。


第1章:「プリクラ」はどのように生まれたのか

プリクラとは、プリントシール機の代名詞として広く知られる「プリント倶楽部®」の愛称です。プリントシール機第1号機は、1995年7月25日にセガとアトラスの共同開発商品として発売されました。撮影した写真がその場でシールとなって印刷できるという楽しさが若者の間で人気を博し、1997年6月末時点で累計出荷台数が約22,000台に上る大ヒットを記録しました。

なお、「プリクラ®」はセガとアトラスの商標登録であり、プリントシール機全般の呼称ではなく正確には「プリント倶楽部」という機種の愛称ですが、その圧倒的な知名度から、プリントシール機全般の通称として広く定着しています。

プリントシール機は撮影した写真がその場で印刷できるという楽しさで人気を博し、社会現象となる一大ブームを巻き起こしました。学校帰りに制服のままプリを撮りに行くのが定番の遊び方となり、手帳やノートにシールを貼る「プリ帳」作りやプリントシール交換といった遊び方も定着していきました。


第2章:分割印刷という仕組みが生んだ「切り分け文化」

プリクラのシートに複数のコマが並ぶ「分割印刷」という機能は、プリクラがシールとして機能するうえで自然に発展した仕組みです。

1枚のシートに同じ写真や複数のカットが並んで印刷されることで、切り分けて友達に配ることが可能になります。分割数はその後さまざまなパターンが開発され、4分割、8分割、16分割、さらに細かいものなど、機種や設定によって選べるようになっていきました。

「16分割」などの細かい分割にすると、1枚のシートから多くのシールが得られ、多人数で撮影したときでも全員に配ることができます。友達が多い、あるいは複数グループと撮影する日には「今日は16分割にしよう」と話し合うことも自然な流れでした。

一方、分割数が多いと1枚ひとつのシールのサイズが小さくなります。2人でプリを撮って16分割にすれば、一人8枚もらえますが、それぞれの写真は小さい。「大きめにしたいから4分割」か「たくさん欲しいから16分割」かという選択は、そのとき一緒に撮る人数や、それぞれの好みをすり合わせる小さな交渉でもありました。


第3章:ハサミの「丁寧な入れ方」が技術と愛情を示していた

印刷されたシートをハサミで切り分ける作業は、一見単純に思えますが、実際にはかなりの集中力と丁寧さが求められるものでした。

プリのシールには、撮影した写真そのものが印刷されています。切る線を少し間違えると、大切な友達の顔が半分切れてしまう、あるいはお気に入りの落書きデコが欠けてしまう——という事態になります。だからこそ、ハサミを慎重に動かし、印刷されたコマの線に沿ってまっすぐ切る技術が求められました。

特に8分割や16分割など細かい分割の場合、小さなシールを均等に切り分けるのはなかなかの難作業です。「ここで縦に切って、そのあと横に切って……」と手順を確認しながら丁寧に進める場面は、プリを撮った後の定番の光景でした。

プリクラを撮り終えた後、機械から出てきたシートをみんなで囲みながらハサミを入れていく——この「分ける作業」自体が、友達とのコミュニケーションのひとつの時間になっていたとも言えます。誰がどのカットをもらうか相談し合う楽しさも、あの時間にはありました。


第4章:「プリ帳」という文化とシールの使い道

切り分けたプリシールは、さまざまな形で活用されていました。

「プリ帳」は、専用の手帳やノート、あるいは市販のアルバムにプリシールを貼って保管するスタイルで、平成のプリクラ文化の中核を担いました。セガのリリースによれば、「手帳やノートにシールを貼る『プリ帳』作り、プリントシール交換などの遊び方も定着」し、「女子高校生にとって、プリは欠かせないコミュニケーションツールとしての地位を確立した」と紹介されています。

プリ帳は、友達との思い出の記録であり、コレクションでもありました。撮った日付や場所、そのときの気持ちを書き込んだり、プリシールの隣に手書きのメッセージを添えたり——手作り感のある、とても個人的なアルバムが各自に存在していたのです。

また、携帯電話の裏(電池パックの部分)にプリシールを貼るのも平成の定番スタイルでした。自分の携帯の裏に好きな友達との写真を貼ることで、「この人と仲が良い」ことを示す一種のアクセサリーとして機能していたとも言えます。ほかにも手帳の表紙、筆箱の内側、ノートの端——プリシールは多くの場所に貼られ、日常の中に溶け込んでいました。


第5章:プリ機の進化とともに変わった撮影体験

プリクラの機能は平成を通じて著しく進化していきました。

フリューがプリントシール機事業に参入した1998年には「全身プリ」が女子高校生を中心に大流行しました。1999年には美白ブームに乗じたプリントシール機が「盛れる」と話題になりヒット。2000年代に入ると、カラフルなペンやスタンプでプリをデコるのが定番になりました。

さらに落書き機能や加工機能が充実するにつれ、撮影したままの写真に加えて、自分たちで背景を選んだり、デコレーションを加えたりと、より「自分たちらしい」一枚を作る楽しみが広がっていきました。撮影のカットごとに異なるデコをつけることで、「どのコマが一番うまく撮れたか」「どのデコが可愛いか」という比較も楽しめるようになり、切り分けたシールの中から「お気に入りの一枚」を選ぶ時間も特別なものになっていきました。

機能の進化とともに、分割の種類やシールの大きさも多様化し、撮影後の「どう切り分けるか」の選択肢も増えていきました。


第6章:令和のプリと、あの「切り分け文化」の記憶

令和の現在も、プリントシール機は10代を中心に親しまれ続けています。技術の進化により、スマートフォン連携機能、SNSへの投稿機能、さらに高度な美肌・盛り機能などが加わり、令和のプリクラは平成のそれとは異なる形で進化を続けています。

一方で、ハサミで切り分けてプリ帳に貼るという文化については、スマートフォン時代の若者の間での広がりは平成当時とは変化しています。スマートフォンのカメラアプリや加工アプリで写真を撮り、すぐにSNSに投稿できる現代では、「物理的なシールを切り分ける」という行為そのものの意味合いが変わってきています。

それでも、フリューのガールズトレンド研究所への取材記事(fashionsnap.com)では、「プリントシール機の文化はこの先も衰えない」という見解が示されており、形は変えながらも若者文化としての地位を保ち続けています。

あのハサミを丁寧に入れながら、友達と「これ誰がもらう?」と話し合っていた時間は、平成にしかなかった、アナログで温かみのある記憶です。


まとめ:切り分けたシールの枚数分、思い出が詰まっていた

プリクラのシートをハサミで切り分けて友達と分け合うという体験は、1995年に誕生したプリントシール機が生み出した「平成の女子文化」の中核でした。

16分割にするか8分割にするか相談し、丁寧にハサミを入れ、全員に均等に配る——その作業のひとつひとつに、友達との関係や思いやりが込められていました。そして切り分けられたシールが、プリ帳に貼られ、携帯の裏に貼られ、毎日の生活の中でそっと見返される——プリシールは、写真以上の意味を持つコミュニケーションの道具でもありました。

小さなシールの中に、あの頃の笑顔と友達との時間が詰まっている。プリクラのハサミ切り分けは、平成の青春の一コマとして、多くの方の記憶の中に今も温かく残っているのではないでしょうか。


本記事は、セガのプリクラ誕生30周年関連リリース、フリューへの取材記事(fashionsnap.com・マネ会)等の公開情報に基づいて執筆しています。「プリクラ®」はセガとアトラスの商標登録です。プリントシール機の機能・分割数の種類は機種・時期によって異なります。


昭和より新しいけど懐かしい平成の話をもっと見る

購読すると最新の投稿がメールで送信されます。