【平成あるある】タピオカミルクティー第3次ブームを振り返る|ゴンチャなど台湾ティー旋風はなぜ起きたのか

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平成あるある~台湾発の「タピオカミルクティー」が、ゴンチャなどの本格派ティーサロンのブームとして再燃する(平成後期の第3次ブーム)。

平成後期、街のあちこちに黒い粒々が浮かぶミルクティーを片手に歩く若者の姿があふれていました。台湾発祥の「タピオカミルクティー」は、ゴンチャや春水堂といった本格派ティーサロンの上陸をきっかけに、平成の終わりを彩る一大ブームへと発展します。行列のできる専門店、SNSを埋め尽くす写真、そして原宿に突如現れたタピオカの聖地。今回はこの「第3次タピオカブーム」を振り返りながら、当時の空気感を思い出していただける内容にまとめました。平成生まれの方はもちろん、あの熱狂をリアルタイムで体験した方にも懐かしんでいただける記事です。

1.平成後期に巻き起こったタピオカミルクティーブームとは

タピオカミルクティーの第3次ブームは、2018年後半から2019年にかけて日本全国を席巻しました。データを見ても輸入量が前年の同時期と比べて大幅に増加しており、当時の熱狂ぶりがうかがえます。それまでもタピオカ入りの飲み物自体は存在していましたが、この時期のブームは単なる流行を超え、専門店が街の風景を変えるほどの社会現象となりました。学校帰りや仕事帰りに専門店の前に長い行列ができる光景は、当時のニュースやワイドショーでも頻繁に取り上げられ、平成という時代を象徴する出来事のひとつとして記憶されています。

駅前や商店街には次々と新しいタピオカ専門店がオープンし、空き店舗があればとりあえずタピオカ屋が入る、と冗談交じりに語られるほどの出店ラッシュが続きました。それまで雑貨店や飲食店だった場所が、あっという間にカラフルな看板のタピオカ専門店に様変わりする光景も珍しくなく、街の景色そのものが数か月単位で変化していったことも、この時期ならではの特徴でした。友人同士で「今日はどこのタピオカを飲みに行く」という会話が日常的に交わされていたことを覚えている方も多いのではないでしょうか。

2.台湾発「タピオカミルクティー」日本上陸の歴史

実はタピオカミルクティーが日本で流行したのは、この時が初めてではありません。最初のブームは1990年代後半に台湾チェーンが進出したことで起こり、コンビニエンスストアでもタピオカ入りドリンクが並ぶようになりました。その後2008年にも台湾ブランドの上陸をきっかけに再び注目を集め、福岡をはじめ全国各地に黒いタピオカを使ったミルクティーが広がっています。ただこの時期は本格的なコーヒーチェーンの台頭とも重なったこともあり、他のスイーツトレンドに押される形で人気は落ち着いていきました。

そして平成後期、2013年に台湾の老舗ティーブランドが代官山に海外1号店を構えたことが、第3次ブームの発端となりました。当初は一部の話題好きな人々の間で知られる存在でしたが、台湾旅行の人気が高まったことや、台湾スイーツそのものへの注目度が上がったことも追い風となり、ここから台湾ティーという業態が日本のマーケットに少しずつ浸透していきます。数年という時間をかけてじわじわと認知度を広げ、やがて大きなうねりへと成長していったのです。

3.ゴンチャなど本格派ティーサロンの台頭

第3次ブームを語るうえで欠かせないのが、本格派ティーサロンの相次ぐ日本上陸です。台湾発のゴンチャは2015年に日本へ進出し、その後急速に店舗数を拡大しました。続いて2017年には別の台湾ブランドも日本初出店を果たし、専門店同士の切磋琢磨が業界全体を盛り上げていきます。これらのブランドに共通していたのは、タピオカそのものよりも「お茶」の品質にこだわる姿勢でした。単なる甘い飲み物ではなく、茶葉本来の風味を楽しめる本格的な一杯として支持を集めたことが、単発のブームで終わらなかった理由のひとつといえるでしょう。

こうした本格派ティーサロンでは、甘さの度合いや氷の量、トッピングの種類を自分好みに細かくカスタマイズできる点も大きな魅力でした。注文のたびに甘さや氷を選ぶという体験は、それまでの日本の飲料文化にはあまりなかった新鮮な楽しみ方であり、一杯ごとに自分だけの組み合わせを見つける面白さが、リピーターを増やす要因になっていたと考えられます。タピオカはあくまでトッピングのひとつという位置づけでありながら、専門店としての世界観をしっかりと確立していたことが、多くのブランドの中でも特に存在感を放っていた理由といえるでしょう。

4.SNS映えとタピオカブームの相乗効果

平成後期はSNSが生活に深く浸透した時期でもあります。写真共有アプリの普及とともに、色鮮やかなタピオカドリンクは「映える」被写体として若い女性層を中心に瞬く間に拡散されました。人気店の前にできる行列自体が話題となり、それがさらにメディアで取り上げられることで、デジタルとアナログの両面から相乗効果が生まれていったのです。飲み物を購入すること自体が一種の体験であり、友人と写真を撮り合う楽しみとセットになっていた点も、当時ならではの文化だったといえます。

透明なカップに詰まった黒いタピオカと乳白色のミルクティーのコントラストは、写真映えする被写体として非常に相性がよく、太めのストローが刺さった姿もひと目でそれとわかる特徴的なビジュアルでした。撮影した写真をすぐに友人へ共有できる環境が整っていたことも、ブームの拡散速度を大きく後押ししました。テレビ番組が行列の様子を取材し、それを見た視聴者がさらに店舗へ足を運ぶという循環が生まれたことで、ブームはより大きな社会現象へと発展していったのです。

5.原宿に誕生した「タピオカの聖地」と若者文化

ブームのピーク期には、東京の原宿駅前に期間限定でタピオカ関連のイベントスポットが登場し、大きな話題を呼びました。原宿はもともと若者文化の発信地として知られる街ですが、この時期は通りを歩けばタピオカ専門店の看板が次々と目に入るほどの密集ぶりで、まさに聖地と呼ぶにふさわしい賑わいを見せていました。学生たちが放課後に立ち寄り、SNS用の写真を撮ってから飲み始めるという光景は、当時を知る方であれば懐かしく思い出されるのではないでしょうか。

原宿の竹下通り周辺には修学旅行生や海外からの観光客も数多く訪れており、タピオカ専門店の前で記念撮影をする姿があちこちで見られました。制服姿の学生たちが放課後にタピオカ片手に集まる光景は、平成の終わりを象徴する青春の一コマとして、多くの人の記憶に残っているはずです。友人と店をはしごして飲み比べを楽しむ、いわゆる「タピ活」という言葉が生まれたのもこの時期であり、単なる飲み物の流行を超えた一種のライフスタイルとして定着していきました。

6.タピオカブームが落ち着いていった理由

大きな盛り上がりを見せた第3次ブームですが、令和に入る頃には勢いが徐々に落ち着いていきました。急拡大した専門店の中には競争の激化によって撤退を余儀なくされる店舗も見られ、業界全体が淘汰の時期を迎えます。一方で、タピオカをトッピングのひとつと位置づけ、お茶そのものを主役に据えていたブランドは、ブームが去った後も台湾ティー専門店として営業を続けています。流行に乗るだけでなく、商品そのものの品質を磨き続けた店舗が生き残ったという点は、平成から令和への移り変わりを象徴する出来事だったのかもしれません。

7.まとめ:平成を象徴するスイーツブームとして

タピオカミルクティーの第3次ブームは、台湾から届いた一杯の飲み物が、SNSという新しい文化と結びついて社会現象にまで発展した平成後期らしい出来事でした。ゴンチャをはじめとする本格派ティーサロンの上陸、原宿に生まれた聖地、そして写真映えを楽しむ若者たちの姿は、当時を知る方にとって懐かしい記憶として残っているはずです。街を歩けばタピオカ専門店に行列ができていたあの光景を、ぜひこの機会に思い出してみてください。


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